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6/26/2008

イエスの血潮!

Filed under: - aomatsu @ 10:16 am

出エジプト7:8−18  モーセとアロンは、神のことばを実践の行動にうつすと杖が生きた蛇となつた。エジプトのパロ王は負けじと、エジプト中の呪術者、呪法師と知恵のある者らを集め、秘術を駆使して作り物の蛇を出します。しかしモーセらのみことばから出た蛇が偽者の蛇を食べてしまった。だがしかし、それでもパロ王はイスラエルの民を解放しない。次の朝、神はモーセにパロ王の散歩時に再度面会に立たせます。そして今度はナイル川に命じると水が血となった。それはエジプトの人々がナイル川を豊穣の神として偶像礼拝をしていたから、生ける神は作り物のにせ神に血を流させたのだ。その血はエジプト人の救いにも癒しにもならぬ空しい偶像礼拝であったことを知らせている。私達の信じる神の救いは、ゴルゴタの丘の上で十字架にかかつて贖いの血を流してくださったイエスである。そのイエスの血によって、無に等しい者であるわたしを牧師とし、病気だらけのパウロに世界宣教の主人公に任命して用いるのだ。永遠の血潮は今も流れ続けている。決して干上がる川の水ではなく、救いと祝福のイエスの血潮はわたし達に流れ続けていることに感謝しましょう。私達の救いの原点は、命の無い木や岩ではなく、生ける神の子イエスにあることを賛美しましょう!
         ハレルヤ!アーメン!     牧師 青松英明


4/22/2008

ダニエルの祈りの秘訣

Filed under: - aomatsu @ 10:54 am

ダニエル9:15-19  神は聖であるからあなたたちも聖でありなさいと教える神は、神が聖い人と共に働くということだ。生ける真実な神は不正で高慢で罪深い者と一緒には歩まないのだ。神は絶対にサタンとは妥協もしなければ同調もしない。神に祈る人は多いが、聖なる祈り手が少ないのである。神が祈りに答えて下さらないのでなく、祈る側に悪があるからである。逆に何故にダニエルの祈りは聞かれたか?それは彼が
聖なる人であったからだ。9章2節で「預言者エレミヤ」にあった主のことばによつて「私、ダニエル」は悟ったと告白している。自分も深い夢をとく霊的力と10倍の知恵のある者なのに、一度も自身を誇らずに主に祈り求める人である。しかもエルサレムの町とイスラエルの民の罪の悔い改めを祈っている。エルは神のことだ。その名の入ったエルサレムとイスラエルの罪を赦してと祈っているのだ。アメリカにロスエンジエルス(多くの天使たち)という町もあればエルパソと名のついた町もある。しかしダニエルは主の名が刻まれた町と人々のために祈っているのだ。テロリストとなって自爆するのが神の業ではなく、デモ行進するのがキリスト者の選択ではない。生ける神に真実に祈ることである。主よ、聞いてください。主よ、赦してください。主よ、心に留めて行なってくださいと
3度も主よと叫びつつ祈りも求めている。韓国の教会の祝福の原点は熱い祈りにある。主よ!主よ!主よ!と3度叫びつつ祈っている。しかも国と民族と世界宣教の為に祈っているのである。祈りは気合ではなく習慣的に口癖でなく叫びでもない。神との深い対話にある。神はあなたの小さい声にも聞かれています。そして必ず答えてくださいます。信じて何でも祈り求めましょう!
        ハレルヤ、アーメン!            牧師 青松英明


4/11/2008

霧の中を導くイエス!

Filed under: - aomatsu @ 11:35 am

ヤコブ4:11-17   口は災いの基と言われるように、私達は口が制御できなくて失敗する。一言多かったのである。日本の政治家の重鎮は「うそは誠実に誠意を込めてつけ」と語った。ヤコブ書3章からは続けて「口を制御せよ」と教えられていた。そして4章にも、互いに悪口を言い合ってはならないと警告されている。人に悪口言い、裁く人はいない。もしいたら、その人は完全な人である。明日のこともわからない者が、明日はあの町で商売をして稼ごうと計画案が完璧であっても、高ぶってはならない。
あなたがたは、しばらくの間現れて、それから消えてします霧にすぎませんと主は教えているのだ。人生は旅だ、しかも暗中模索の霧の中にいるようなものだ。だからこそ
あなたの人生にあつても道案内人が必要です。霧の中をブツブツ悪口を言いながら裁きの声を上げて歩くから、あっちで衝突、こっちで落ち込むのである。見えない人間に頼らずに、永遠の時を支配し確かな幸いの道へと導かれる主イエスに手を握ってもらってください。そうすれば、あなたの霧のような複雑な人生を、実り豊かな生涯へと導いてもらえます!イエスさま、問題だらけの霧の中から、私を導いてくださいと祈って見てください。主はあなたの口の開くのを待っています!
        ハレルヤ、アーメン!       牧師 青松英明


4/10/2008

主にへりくだりなさい!

Filed under: - aomatsu @ 10:27 am

ヤコブ4:1-10  争いと事件が起こると、人はその「原因」を探す。再発防止の為といっては「原因」は、あれだこれだと論議している。しかし聖書は「原因」は「欲望」だと教えている。ほしがっても手に入らなければ人を殺す事件は毎日登場している。不倫は文化だと言うのは簡単だが、実際には全ての家族と子供たちを巻き込んでの悲惨な結論に至る。自分が好きだからといって追いまわし、ついにはストーカーとなってしまう。神を信じない人にとっては「自分」しか頼るものがないから自己中心な利子主義的な我儘な人間が生み出される。クリスチャンにとって感謝すべきことは、常に、いつでも、どこでも、何でも願いを聞いてくださる神がいることだ。しかも直接イエスに求めなさいと言ってくださつている。カトリックのように罪の告白を懺悔室にいる神父に告白し、神父は母マリヤ、天使ガブリエルに、子なるイエス、そして父なる神に伝えるという複雑な神ではないのだ。願っても受けられないのは自分の快楽の為に使おうとして、悪い動機で願うからです。神にへりくだる人は、神がその人を高くあげてくださるし、神に従うと悪魔は逃げ出す。今、自分が欲しがっている物は本当に必要なのか神に祈り求める人は「欲望」の誘惑から解放されるのです。必要なものは主が必ず与えて下さるのです。争いと戦いの中にいるなら、今その中に自分の欲望がないかどうかを黙想しましょう。主の御前でへりくだりなさい。そうすれば、主があなたを高くしてくださいます。
      ハレルヤ、アーメン!        牧師 青松英明


3/26/2008

誠実なヨセフ

Filed under: - aomatsu @ 10:15 am

創世記47:13-20   7年間の大豊作によって、人々はずっと豊作が続くと思っていた。何の備えもなしで安泰としていた。2年間の飢饉が続いても、来年には豊作になるだろうと楽観視していた。最初は預金の銀を支払って食物を得た。しかし4年目も飢饉で家畜をヨセフの所まで持参した。5年目には何もなく、自分と畑を渡してエジプトの奴隷になりたいと申し入れた。それでもまだ飢饉が2ねん続くとヨセフだけが知っていた。神と共に生きるヨセフだけが未来の祝福を確信して待てたのだ。人は自分が正しく、何でも乗り切れると思い込んでいる。誰が7年間も飢饉が続くと想像出来ただろうか?きっと来年こそは豊作になると期待するだけである。しかし日々祈りつつ神と共に歩むヨセフには未来が見えて、されに対処する備えができたのだ。何故、神はヨセフだけに特別に知恵と預言の賜物を与えて祝福し、用いたのであろうか?それはヨセフが小に忠実であったが故に大を任されたのだ。父ヤコブの頼みにも忠実に行動し、兄らの消息を尋ねてきたり、奴隷としてボテファイルの家に売られてきても、主人に仕え、騙されて獄に入っても囚人たちに仕え、そして今、国務長官になって大金の銀と家畜と土地を得ても、全額パロ王のところに持参したことである。少しのワイロも取らず、私腹を増やす横領もせず、ただ正直に生きた。この一点を見ても、神がヨセフを祝福し用いる理由がわかる。私は兵庫県にいた時に、東京渋谷福音教会を開拓し、素晴らしい教会を建て上げた霊の人、金サムエル牧師と会った。娘の死によって献身に導かれたときに、金サムエル牧師先生の教会で霊的訓練を受けたく上京し、東京聖書学院に送られて育てられた。サムエル先生は素晴らしいメツセンジャーであり、神からの賜物に溢れた神の人であった。その理由はサムエル先生の神への献身と金銭にきよい生き方を見せてくださった。先生の財布には常に千円札一枚しか入れない牧師でした。遠くに出かける度に、牧師夫人からもらつていました。先生がときには「青松君、食べに行こう」と言って連れて行ってくれる店は「ミスタードーナッツ店」だつた。二人で千円使うのだった。先生が貧しくてではなく、ケチだからでもない。15名ほどいた神学生たちの学費を全額払ってくれた。先生が九州での聖会謝礼金40万円を、後に教会で「ハイ、イエス様からのご褒美が届いたよ」と言って5万円づつくださった。そのような金銭に欲のない先生を神は豊かに用いられたのである。ヨセフの祝福だけを見て感動せずに、祝福される聖い器の備えをしましょう。
  ハレルヤ、アーメン!           牧師 青松英明


3/25/2008

正直なヨセフ

Filed under: - aomatsu @ 10:51 am

創世記47:1-12  ヨセフはヤコブの12人の子供の中で11番目の子であり、最愛の妻ラケルの子である。特にヤコブはヨセフを溺愛したが故に、兄らからの憎しみも受けて結局、奴隷としてエジプトに売られて来た。17歳で奴隷となったヨセフであったが、30歳の時にはエジプトの国務長官に任命されていた。それから7年間の豊作後に
2年間の飢饉となる。まだ後5年間飢饉が続く時に、ヨセフと父ヤコブと兄らとの再会が実現したのだ。ヨセフの家族が移民して来たことを知り、エジプト国中が大歓迎の中での家族紹介のセレモニーである。エジプト王パロは、最高の地ヨセフスを与え、最高の生活環境を用意していた。そしてついに王は聞いた「職業は?」兄らは答えた「羊を飼う者です」と正直に答えた。エジプトでは「羊飼い」が最悪の職業であり差別され、見下されることをヨセフは知っていた。もし彼がそのことを隠そうとするなら、高価な服、華麗な職業を偽装することが出来たはずだ。イエスが嫌うのは「偽善者なるパリサイ人よ」と弾劾された。その「偽善」とはラテン語で「マスク」のことだ。人は自分を高めようと「良き夫、妻、立派な政治家、親切な先生などの「マスク」をかぶるのが偽善者である。あるがまま、自然のままに生きる人を神は愛される。人が見下しても、自分の父の職業に誇りを持てる人は幸いです。神がダビデを愛したのは、勇敢に戦ったときの将軍ダビデでなく、ダビデ王朝40年を構築した王ダビデでなく、名も無い羊飼いのときに命を賭けて猛獣から羊を守り、夜中に神に感謝の祈りと賛美を捧げた羊飼いダビデを愛して祝福したのだ。現代人にあって、偽善を身につけていませんか?少しのプライドに傷が付けられたと怒っていませんか?神の前で、あるがまま正直に真実に誠実に生きましょう。ヨセフのごとく、イエス様のように生きましょう!
                 ハレルヤ、アーメン!     牧師 青松英明


2/17/2008

祝福を受け継ぐ家!

Filed under: - aomatsu @ 9:50 am

詩篇69:22-36  ダビデは、今苦難の只中にある。敵は髪の毛ほどあり、信頼すべき友も家族もいない状況で、しかも水は、のどにまで入ってくる有様だ。一体誰がダビデを苦しめ、殺そうとしているのか。本文にて彼は「敵」を呪っている。彼らの食卓はわなとなれと祈り、敵の家族が食中毒、痛風、あるいは癌にでもなれと呪っている。しかも彼らの宿営には誰も住む者がないようにしてくださいと敵の死ぬことを求めている。ダビデは綺麗な祈りはしていないが、正直な思いを込めている。主に祈る聖徒も上手に、綺麗に祈ろうとせずに心を注ぐことが大切である。ここでの敵は誰なんでしょうか?26-28節にあるように「敵」とは神の民である。今でならクリスチャンたちである。神の子によって迫害され、信仰の失敗を数えて言いふらす聖徒がいることだ。そんな者たちと一緒の神の国に入らせないでと祈り求めている。聖徒どうしが批判し合い、裁きあい、悪い噂話を伝えるなら悪い聖徒、神に敵対する者となるのだ。モーセを殺そうとしたのも神の人たちであったし、イエスに十字架の死をと叫んだのも神の人たちだった。今も牧師、宣教師を苦しめに合わせる者は同罪の罪にとわれるのだ。主のしもべの罪は神が審くと約束されているのだから主に委ねましょう。足らないしもべと感じたなら断食してでも祈って支えるべきだ。ダビデは本文の最後に大切なことを教えている。それは、どんな悩みと痛みがあっても、自分は主をほめたたえて感謝を捧げていることだ。相手といくら話し合っても、言った言わなかったとの論議が続くだけである。人を相手にせずに神に無条件に感謝しなさいと教えている。そうすれば自分が神によって高く上げられ、今まで裁いていた人々にどちらが正しかったかを悟らすこととなるのだ。そればかりでなく、自分も祝福の家に住み、子孫にも祝福に至ると約束されている。
イエスが十字架で叫んだ祈りを心に蓄えましょう。主よ!彼らをお赦し下さい。何をしているのかわからないのです。
      ハレルヤ、アーメン!                牧師 青松英明


1/23/2008

それでも主はヨセフと共におられた

Filed under: - aomatsu @ 11:12 am

創世記39:17-40:8   兄ユダの提案で銀20で奴隷として、エジプトのボテファイル家に買われたヨセフ。しかし主がヨセフと共におられたので家の管理者、重鎮となった。しかしボテファイルの妻の連日の誘惑により強姦未遂の嘘により、ヨセフは獄に入る。あれほどヨセフを信頼しながらも一度の妻の嘘によってボテファイルは怒りに燃えてヨセフを捕らえた。ここで私たちは教訓としなければならないことがある。それは「人の話と噂話」を片方だけ聞いて信じてしまい、関係の無いのに怒りを覚えることだ。両方の話を聞いて、その後でイエスに「どちらが真実ですか」と求める聖徒でありたい。もし判断が間違えたら、相手の心に傷を付けることとなり、しかも罪となるのだ。何故
ヨブに励ましに来たはずの3人の友が罪となり、後にヨブに祈ってもらわなければ神が審くと言われたかを忘れてはならない。また本文で、ヨセフの災いを益に変える主がいたことも忘れてはならない。ヨセフに何の落ち度もないのに、兄やボテファイルの妻に憎まれ、奴隷となり、また犯罪人にされてる中にも主はヨセフと共におられたことだ。
この主が、時が満ちたら一瞬のうちに幸いな人にしてくださるのだ。ヨセフの夢の解き明かしにも、8節に「それを解き明かすことは、神のなさることではありませんか」と告白する人です。私たちクリスチャンは、イエスの栄光を現す為に生まれたのです。人の心に傷を与えるのが使命ではなく、主の名によって癒して上げるのが使命です。主が私と共におられると信じるならば、わたしは癒す側でありたいと祈りましょう。
             ハレルヤ、アーメン!              牧師 青松英明


1/18/2008

しるしとして何をあげようか!

Filed under: - aomatsu @ 10:35 am

創世記38:12-19 ユダはヨセフを奴隷として銀20で売り飛ばそうと提案し、実行に移した兄だ。そこにユダの信仰の薄さを見れる。後に異邦人と結婚し、真の神を伝えずにいた。二人の息子らは神の目に悪を働き殺された。そして妻も死んだ。喪が明けるとすぐに羊の毛を刈る仕事場に向かう場面が本文である。信仰によって生きず、自分の感情で生きたが故に、子育ても失敗し、3番目の子を未亡人タマルに夫として与えると約束していながら、実行にうつさずタマルを奴隷のように扱った。そこでユダの子孫を産みたいとタマルは、今、売春婦の仮装してユダを誘っている。賃金として子ヤギを与えると約束した。しかしタマルは知恵の中から、「何かしるしをくだされば」と求める。
ユダはすぐに「しるし」として印形と紐と杖をしるしとして与えた。そしてユダと交わり妊娠するのだ。後に妊娠によるトラブルにあっても、この時のしるしが決定打となった。今朝の御言葉から、信仰生活の重要性と信仰にはしるしが必要であると教えている。信仰がなければ神を喜ばすことは出来ません。そしてしるしがなれば、信仰が弱くなります。生ける神と共に生きる聖徒に御言葉に伴う不思議なしるしがあることを期待しましょう。今日、イエスは何をなされるのでしょうか、期待しましょう!
                 ハレルヤ、アーメン!                 牧師 青松英明


しるしとして何をあげようか!

Filed under: - aomatsu @ 10:35 am

創世記38:12-19 ユダはヨセフを奴隷として銀20で売り飛ばそうと提案し、実行に移した兄だ。そこにユダの信仰の薄さを見れる。後に異邦人と結婚し、真の神を伝えずにいた。二人の息子らは神の目に悪を働き殺された。そして妻も死んだ。喪が明けるとすぐに羊の毛を刈る仕事場に向かう場面が本文である。信仰によって生きず、自分の感情で生きたが故に、子育ても失敗し、3番目の子を未亡人タマルに夫として与えると約束していながら、実行にうつさずタマルを奴隷のように扱った。そこでユダの子孫を産みたいとタマルは、今、売春婦の仮装してユダを誘っている。賃金として子ヤギを与えると約束した。しかしタマルは知恵の中から、「何かしるしをくだされば」と求める。
ユダはすぐに「しるし」として印形と紐と杖をしるしとして与えた。そしてユダと交わり妊娠するのだ。後に妊娠によるトラブルにあっても、この時のしるしが決定打となった。今朝の御言葉から、信仰生活の重要性と信仰にはしるしが必要であると教えている。信仰がなければ神を喜ばすことは出来ません。そしてしるしがなれば、信仰が弱くなります。生ける神と共に生きる聖徒に御言葉に伴う不思議なしるしがあることを期待しましょう。今日、イエスは何をなされるのでしょうか、期待しましょう!
                 ハレルヤ、アーメン!                 牧師 青松英明


1/16/2008

偶然のない聖書の世界!

Filed under: - aomatsu @ 10:55 am

創世記37:25-36 今日までに14件の家族による近親殺人事件が発生している。創世記にも家庭崩壊事件があった。ヨセフには10人の兄がいた。だが彼らはヨセフだけが父ヤコブに愛されていることに嫉妬して日頃から憎んでいた。兄らの近況を見てきてと父の頼みで、善意で尋ねてくれたヨセフを兄らは悪で返した。穴の中に投げ込んで、最後には奴隷として売り飛ばそうと相談していた時に、遠くからイシュマエル人の隊商がやって来た。そこでユダは銀20でヨセフを奴隷の値段で売ってしまった。この小さな嫉妬と何でも金で決定する思いが、後に父ヤコブに絶望の涙を流すこととなった。罪は小さいから非力まのではなく、小さな嘘から、嫉妬から大罪に至るのだ。売られたヨセフの心に兄らに殺されかけた事と売り飛ばされた現実に人間不信の傷となり、父には黄泉に下って死にたいと絶望を与え、本人たちにも銀20の罪の呵責が残ってしまった。何も良いことは無く、家庭崩壊に見える事件なのに、ここでも神の導きが見える。ユダが売ろうと提案した時、目の前を通るイシュマエルの隊商と出会ったことだ。アブラハムとサラが肉の思いで、女奴隷ハガルによって作ったのがイシュマエルだ。その約束の子であるイサクの子ヤコブの家庭崩壊を、神はアブラハムの子孫によって救い、エジプトの高官ポテフアルに預けられて、後の祝福に至った。これを世では「偶然」と呼ぶが、聖書に偶然は無い。神の導きと呼ぶのだ。見えないところで働く神の導きを確信しましょう。今は苦しくても、問題山積でね、大病で痛くても、神は私たち一人ひとりの祝福の道へと導いておられるのだ。ただ主を待ち望め!
          ハレルヤ、アーメン!                       牧師 青松英明
       


1/7/2008

神の国が滅ぼす!

Filed under: - aomatsu @ 4:25 pm

ダニエル2:44-49 ダニエルがネブカデネザル王の夢の解き明かしをすると、王はそれを神のことばとして受け入れた。本来なら、次の国によって自国が滅びることは縁起でもないと言って怒ってしまうのに、そのまま受け入れたのだ。神の国では自分を低くする者の国である。また国を滅ぼしたのはダニエルではなく、他国の王でもなく、ハッキリと神の国と語り、その国は永遠に立ち続けると宣言されている。この世のどんな強力で華麗な生活を提供出来ても、ローマ帝国は千年しか存続出来なかったのだ。形ある物は崩れるのだ。私たちクリスチャンは、地上にパラダイスを構築するのが目的ではなく、天にある神の国に期待するのである。この地上で、ダニエルは王によって高い位につくが、彼には傲慢が見えない。神の国の民として今までどおり宮廷に留まり、祈りに専念していたのだ。そして彼には信仰の3人の友もいた。これが幸いである。一番疲れる祈りに、祈りの友がいることは祝福である。聖徒には、神の国が予約されていて、同時に祈りの友、信仰の友が与えられているのだ。その名はイエスキリストである。その方は、間違いなく神の国を教え、語り、導いてくださるのだ。主の前に、謙遜になつて祈り続けましょう!
             ハレルヤ、アーメン!               牧師 青松英明


打ち砕く石!

Filed under: - aomatsu @ 3:59 pm

ダニエル書2:31-43   バビロンによって滅亡したイスラエル人の中にダニエルがいた。当時のバビロン王ネブガデネザルが不思議な夢を見た。しかし誰も夢の解き明かしが出来なかった。そこで呼び出されたのがダニエルであった。夢でみた幻は、頭は純金、胸と腕は銀、腹と太ももは青銅、すねと足の一部分は鉄と粘土であった。その足に石が当たると全体が砕け散ったという幻である。頭から順番に金、銀、銅、そして後は鉄と粘土。人が尊ぶ順番でもある。何が何でも金メダルを願望するのが人間である。世界第五位であっても入選ではがっかりしてしまう。つまり外見は高価に着飾る。高価な服装でもって態度が変わり、庶民派の服装と持ち物で軽く思われる。しかし誰も足元は見ない。一番関心の弱い部分である。そこに石であるキリストが当たると人間的なプライドと自己流の生き方が砕け散るのだ。ペテロが頭も洗ってと願うと、イエスは全身は聖いのであると言われた。汚れた部分は足であった。43節に。鉄と粘土は混じりあわないように、互いに団結することはないと断言されている。その弱い足にイエスが当たると互いの主張は消え、一つになれるのだ。石なるイエスが当たったらである。自身の金銀銅を誇らず、弱い足の部分をイエスに触れてもらいましょう。夫婦間に、家庭に職場に国家と世界の一致はイエスにあると信じましょう!
                          ハレルヤ、アーメン!  牧師 青松英明


12/20/2007

祝福を受け継ぐ民!

Filed under: - aomatsu @ 10:02 am

第一ペテロ3:8-9 人は変身思考を持っている。今年流行する服は、どんなカラーが流行るか、髪型から化粧に至るまで変身する。化粧する時の女性の顔は真剣勝負のような殺気が溢れている。自分を変えようと努力もするが、思った以上の成果があがらない。ひとは頑固な動物だ。人には「ああすれば、こうすれば」と指摘出来ても自分には何も出来ないと知っている。しかし聖書の中に「神のことばによつて新しく生まれたような人が沢山登場する。本文のペテロもそのひとりだ。ガリラヤ湖の漁業権所有者であり網元でもあり、舟も網も漁師たちも所有した彼は、イエスのことば「人間を獲る漁師にしてあげよう」によって大変身した人である。彼はイエスの弟子になつても、以前としてグループのリーダーになりたくて仲間と争い、十字架を否定しては「サタンよ。引き下がれ」とイエスに叱られもした。あげくはイエスを3回も知らないと否定した信仰の挫折者でもある。復活イエスのことば「わたしの羊を養いなさい」と任命されてからは新生ペテロとして再登場するのだ。その彼の口から「悪をもって悪に報いず」と教えている。報復は主がするのであって、人ではない。人はただ「祝福を与えなさい」と教えている。何故なら、クリスチャンとはクリスチャンネームを教会からいただいたのが聖徒の証しではなく、相手を祝福し、そして祝福を受け継ぐようにと定められたのが証しである。ユダヤ人らの朝の挨拶「シャローム」あなたに平安があるようにと祝福し、相手にもシャロームあなたこそ神の平安があるようにと祝福しあっている。聖徒であるあなたの今日いちにちがシャロームでありますように祈ります。
                     ハレルヤ、アーメン!    牧師 青松英明


12/12/2007

罪深い足!

Filed under: - aomatsu @ 11:39 am

ヨハネ13:4-5 イエス様は弟子たちに、未来における神の業を知らせたりはしない。まだ理解する信仰ではないからだ。最後の晩餐の絵のように聖餐式を捧げた後で、
        イエスは洗足式に移られた。何が起こるのか、何をするのか、何の意味があるのかも知らない。イエスだけが知っていて、必要な手ぬぐい、たらいと水を用意         された。肉の目で見れば、先生が弟子の足を洗うのは逆の行為である。だからペテロは「洗わないでください」と言った。しかしイエスは「もしわたしが洗わなけ        ればわたしと何の関係もありません」と言われた。ペテロが今度は、手と頭も洗ってと言うと、イエスは足以外は洗う必要はありませんと教えた。足は肉の世         界、罪と堕落と快楽の世界だ。そこに接することの多いのが足だ。この足の着く場に罪が生まれるのだ。イエスは主の名によっての悔い改めの祈りによってだ        け、イエスが聖めると約束したのだ。だからイエスは互いに罪を告白して謙遜で聖い者となるようにと見本を見せてくださいました。今日一日、あなたは罪の地        を踏まなかったですか?罪の埃がついていませんか?いつでもイエスは洗ってくれます。夜を終える前には、聖い者としてくださる方に祈りましょう。
   
             ハレルヤ、アーメン!      牧師 青松英明       
 


12/4/2007

見えるようになりました!

Filed under: - aomatsu @ 10:55 am

ヨハネ9:9-10 親の因果が子に報いと言う言葉があるが、人は不幸の原因探しをする。ヨブの不幸にも3人の友は「何か隠している罪があると」言って責めた。本文でも、生まれつきの盲人を見て、イエスに「この人が盲目に生まれついたのは両親のせいですか、この人ですか」と原因を聞く。イエスは「神の栄光が現れる為である」と教えた。
全ての不幸の原因のトップに神の栄光が関係しているのだ。不幸に見えることを幸福に変える時こそ、神の栄光となるのだ。盲人は断食、100日の祈り、献身して神学校に行った人でもなく、ただイエスの言葉を信じて、実践しただけである。本当にシロアムの池に行けば治るのかなと疑わず、どうしてシロアムかと聞かず、そこで何が待っているのかと考えず、ただイエスの言葉を信じて、実践しただけである。奇蹟は簡単に起こるのだ。ただ聖書のことばをそのまま信じて行うと奇蹟は起こるのだ。神学と教理と哲学とスローガンの連呼が奇蹟を生むのではなく、ただ簡単に、純粋に、乳飲み子が母の乳をそのままゴクンゴクンと飲むように、御言葉を単純に信じる者は神の栄光を現す人となるのだ。カナの婚礼での人々は、イエスの命じたとおりに120リツターの瓶を6本用意し、水を満たし、そして言われた通りに式場に運ぶと、最良の美味しいぶどう酒となっていたのだ。そこには「何故、どうして、誰が」とつぶやく人はいなかったのだ。あなたは口で「何故、どうして、納得できない」とつぶやいていませんか?つぶやく人と神は一緒には働きません。信仰は複雑にしていませんか?信仰は単純なものです。神は天と地を創造された。なんと簡単なことでしょう。ただ神のことばを信じましょう。あなたが納得したからといって何もかわりません。しかし「御言葉ですから網を投げて見ましょう」と実践したペテロに神は大魚の奇蹟を与えるのです。ただ信じましょう!
                ハレルヤ、アーメン!                 牧師 青松英明


11/7/2007

復活のときの報い!

Filed under: - aomatsu @ 10:21 am

ルカ14:12-14   世には沢山の祝宴がある。有名人、著名人、文化人に政治家の先生方は招待状も多いことでしょう。企業でも教会にも接待費がある。問題は何のための接待なのかです。見返りを期待しての思いであるなら神の祝福はない。韓国では人間関係を大切にする国である。「情で生き、情で死ぬ」と言われるお国柄である。親子関係での子には父と祖父があり、会社では先輩後輩、クラブ活動にも先輩後輩があり、入隊しても先輩後輩の関係がある。教会の牧師にもこの関係は重い。だから韓国人は互いに祝福を分け合うことを苦しく思わない。国が経済的に困難になると国民全体が国に自分個人の金銀宝石を捧げて困難を克服する人々だ。世界に食料危機、医療危機があると聞けば黙っていられないクリスチャンである。だから短期宣教に命も捧げる人々だ。イエスは、どんな祝宴に人を招待するときは、貧しく、弱い人々を招待するようにと教えている。力の弱い人々は、お礼をしたくても出来ないのである。だから神が祝福すると約束しているのだ。それも復活の喜びに満ちている時に100倍の報いがあるのだ。今日あなたは、どこで誰に会いますか?情にあっても祝福されるのに、イエスはもっと偉大な祝福で満たしてくださいます。
              ハレルヤ、アーメン!                 牧師 青松英明


11/6/2007

網をおろしなさい!

Filed under: - aomatsu @ 10:31 am

ヨハネ21:4-7   イエスの復活を見て、信じた弟子たちは、漁をしていた。リーダー的存在であるペテロが「私は漁に行く」と言うと、他の弟子たちも同意してのことだった。教会のリーダーである牧師、長老、執事または各部のリーダーたちの霊性によって、教会は恵みもあり失望も味わってします。それを助けるためにイエスは朝早くから岸辺に立ち祈ってくださっている。弟子たちもそのイエスに気がつかないように、現代も、鈍い私たちはイエスの祈る声が聞こえないでいる。一匹も取れない漁に対して、イエスは
網を右に投げなさいと語る。つまり弟子たちはイエスとは逆の左側に網を入れていたのだ。それは今までの経験と実績と自信から来る判断であった。誰も逆に漁場があることはきずかないでいた。イエスの言葉に従ったら153匹の大漁となった。そこでペテロの海に入るという悔い改めが起こる。私たちは今まで、御言葉に従うと告白していても、実は自分勝手に動いて泣くことの事件に至っていたのではないか。神の祝福は弟子たちの周りに用意されていたのです。ただ、探さないで「ないない」と言っていたのです。イエスに祈りつつ聞きましょう。「主よ。今日、私は主からの宝物を探し出すことが出来ますように」と求めましょう。見えないところでイエスさまはあなたを愛の目で見られています!         ハレルヤ、アーメン!                  牧師 青松英明


11/5/2007

喜び踊りなさい!

Filed under: - aomatsu @ 10:26 am

マタイ5:10-12   義の為に迫害されている者は幸いですとイエスだけが教えています。世の教育、教訓、処世術では、義と言わず、正義と言う。しかも「迫害」を受けて幸いと教える先生はいない。何故なら、損だから、負け組みと判断されるからだ。イエスが神の義の為に迫害を受ける者は幸いなのは、ののしり、悪口、悪い噂でもって心に傷を受けた瞬間に、天での報いが大きいからだ。知らないうちに、祝福の貯金が30,60、100倍となって増えているからだ。88年ソウルオリンピック当時の銀行利息は18%だった。100万円韓国銀行に一年貯金すると利子が18万円なっていたのだ。知らないうちにどんどん利息は増えていくのです。何もせずに、汗も流さずにいても利息は増えたのだ。しかし、神の国は100倍となるのだ。後ほどには喜び踊る人になるのです。あなたはどのような迫害を昨日も今日も受けましたか?涙の報いは大きいと信じましょう。たかが「ののしられたことや、悪口いわれたこと」それらは相手には神の審きがあり、迫害の被害者には幸いに至ると信じましょう。神は真実な方で、一度も嘘がつけない方です。                   ハレルヤ、アーメン!     牧師 青松英明


10/17/2007

新しく造られる生涯!

Filed under: - aomatsu @ 9:25 am

詩篇102:18-22  日本人は熱しやすく、冷めやすい民族である。昨日までのヒーローが、負けると邪魔者扱いを受ける。日本人は、正義の味方が好きで悪の化身、悪役レスラーが大嫌いである。童話の中でも、桃太郎は正義の味方で、
猿、キジ、犬は家来であり、悪役は鬼である。正義が勝つ為に、猿の知恵とキジの勇気と犬の忠実があれば子どもたちは桃太郎のような正義の味方になれると考えて童話は作られている。10節に、神が私を持ち上げ、投げ出されたからと告白している。神は傲慢な者は投げ出すように捨て、謙遜で一生懸命に働く者を持ち上げるのだ。私たちは先代の方々の労苦によつて安定した平和で平等な国に住んでいるのだ。そしていつか私たちも、後の時代のために書きしるすことを求められるのだ。歴史に名を残すことよりも、神は主の血潮によって新しく造られた人が、心から真の神を賛美するように!と願っている。そのためにも、今日という日を大切にし、生かされていることに感謝し、また用いられることに感謝と期待をしましょう。世間の誰もあなたをヒーロー扱いしなくても、生ける神イエスさまが熱い視線を、あなたに注いでいます。
                ハレルヤ、アーメン!              牧師 青松英明


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